ドラマを脇役で支える生命保険(エッセイから)
2006年03月30日
生命保険は、人生におけるドラマとの関わりがとても強い商品です。
出逢い、すなわち結婚・出産などの時にご決断いただき、そして今生の別れの時にお役に立てる商品です。
人生の節目に脇役として登場する商品ですね。
ちなみに平成17年度に民間の生命保険会社がお客様にお支払いした額は、死亡・満期保険金で約6.5兆円、入院などの給付金で約3.6兆円と、総額約10兆円にも及びます。
想像もできない大きな額ですね。
そのお支払いの1件1件に感動的なドラマがあり、気持ちの尊さ重さがあります。
生命保険エッセイ集のご紹介
毎年1回、生命保険協会から「生命保険と私」というエッセイ集が発行され、思わず涙を誘われます。
以下、過去の生命保険エッセイから自分が大好きだった2編の作品をご紹介いたします。
『意外なひとこと』 - 2002年 最優秀賞
専業主婦となりはや十六年。
下の子も小四となり子育てもまずは一段落というところだ。
時間に余裕ができホッとしたのもつかの間、家にいる者特有の孤独感や閉塞感がつきまとうようになった。
社会の真ん中で意気軒昂と働く女性が眩しく映る。
人からの何気ない一言、「昼間何しているの?」がことさら胸に刺さる。
「妻」や「母親」というものにだけしか自分の存在価値を見出せず悶々とする主婦は今どきそう珍しくはない。
かと言って、ではどうしたいのかが今ひとつはっきりしない。
毎日をただ無為に過ごしているようで正直焦る。
そんなある日、ふとしたことから自分の生命保険の証券を見た。
そして思った。
年収ゼロの私に死亡時のこの保障額は多過ぎるのではないか、と。
たかが私一人がこの世からいなくなったところで家族にとってのダメージは精神的なものだけではないか。
だったら死亡時の金額はもっと少なくてもいいのではなかろうか。
そう思い夫に相談した。
すると、返事は意外なものであった。
「君の今の働きを他の誰かにやってもらうには、どれだけあっても足りないよ」
朴訥としたその一言で私の生命保険はこれまで通りにしてある。
一日中家の中にいて、掃除や洗濯、布団干しと食事を作っているだけの非生産的に思えた私の生活であるが、その仕事をちゃんと認めてくれる人がいつもそばにいる。
こんなヨイショの仕方もあるのだな、とちょっと元気が出た。
『これは葬式用だ』
大正生まれの父は、頑固な職人気質であった。
家族のためにと、こつこつと種々の保険料を納め続けたが、敗戦の昭和20年8月15日以降、それらは紙クズ同然になってしまった。
国家を信じていた父にとって、戦後の激変ぶりは測りかねるものであったようだ。
それからの父は、保険と名のつくものを毛嫌いするようになった。
母が「そろそろうちでも生命保険くらいかけておかないと‥‥」と言い出すと、「あんなめにあっておきながら何を言うか」と父は怒鳴った。
母は二度とその話を持ち出すようなことはしなかった。
昭和から平成へと年号が変わって2年目の6月、父は出先で突然倒れた。
急性心不全ということであった。
だれに看取られることもなく、ひとまたぎに、あの世へ駆け入ってしまった。
父はその日の朝まで元気だったので、家族はその死を信じられなかった。
あわただしく葬式をすませたのち、母は父の遺品の整理にとりかかった。
すると父の机の引き出しの底から、生命保険の証券が1枚出てきた。
証券にはクリップでメモ用紙が止めてあり、父の字で次のように書いてあった。
「これは葬式用だ」
母は驚き、そして泣いた・・・。
自分は会社生活、すなわち生保の営業現場で心が疲れたときに、このようなエッセイで心を励まし、勇気をいただいてきました。
みなさまどのようにお感じになりましたか?